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“時間”の容器 - 広川泰士小論評・飯沢耕太朗

“時”をとらえることは人間にとっての見果てぬ夢の一つだろう。“時”は形を持たず、目にも見えず、止まることなく過ぎ去っていく。
この一瞬を永遠にこのままの姿で留めておきたいと願っても、指の間をすり抜けていく砂粒のように、それは少しずつ形をなくし、色褪せていってしまう。

アーティストたちは、そんな“時”の変幻自在な姿を、視覚的なイメージとして画面 に刻み付け、石や粘土で型取ろうとしてきた。十九世紀半ばに写真が発明されてからは、写 真家たちが、その夢や欲望を受け継ぎ、さまざまな“時”の形を銀粒子に封じ込めようとした。広川泰士の仕事を見ると、写 真が“時”の容器として優れた表現手段であることがよくわかる。

彼の「Timescapes」シリーズは世界各地の巨大な岩を主題としている。地球がまだ誕生したばかりで、煮えたぎる海から大陸が形をとりはじめた頃から、気が遠くなるような長い時間を掛けて、今あるような岩が出現してきた。いわば岩の有機的なフォルムには、原始時代以来の“時”が集積されているのである。岩は“時”がその力をふるって作り上げた創造物なのだ。

そんな岩に潜んだ力とエネルギーを象徴的に表現するため、広川は星の動きを画面 にとり入れることにした。昼間に撮影された岩と長時間露光をかけた夜空のイメージとが、二重映しに写 しこまれるのである。光の速度で何千年、何万年という彼方から地上に届く星の光も、“時”そのものの隠喩(メタファー)であるといえる。

「Still Crazy」のシリーズでは、“時”の尺度はもう少し短いものとなる。このシリーズは日本各地に点在する五十三基の原子炉を撮影したものである。周知のように原子力発電所は近代の科学の最先端の技術によって作り上げられた設備だが、同時に一九八六年の旧ソビエト連邦、チェルノブイリ原子力発電所の大事故のような、人類を滅亡に導きかねない危険を秘めている。 広川もまたこの「狂気」の産物に大きな疑問を抱く一人である。だが彼は原発を声高に告発するのでなく、あくまで静に、客観的な風景として提示している。

実は原子炉の老朽化の速度は以外に早く、四十年後には設備自体が廃棄される運命にあるのだという。とすれば広川が撮影した風景は、四十年後には廃虚となっているはずだ。「Still Crazy」はその静かな語り口にもかかわらず、どこか底知れぬ恐さを感じさせるシリーズである。見捨てられ荒廃することを前提として存在している風景、広川はこのシリーズで過去や現在の“時”だけでなく、未来の“時”までも取り込もうとしているかのようだ。

広川泰士は日本の写真家たちの中でもきわめて特異な一人である。一貫しているのは撮影のアイデアやコンセプトの明確さと、それを実際に写真の形で実現していく作業の緻密さと粘り強さだろう。長期間のプロジェクトにじっくりと取り組んでいく彼の姿勢は特筆に値する。

いわば彼は“時”のようなとりとめのない、簡単には定着することのできないテーマに取り組むのにふさわしい気質の持ち主なのだ。広川はこれからも“時”の容器としての写真を追い求め、洗練されたイメージに結晶させていくだろう。その過程を、期待を込めて見続けていきたい。

 

PHOTOGRAPHERS INTERNATIONAL・Vol.20 飯沢耕太朗 (写真評論家)