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OILED COAST- 重油漂着海岸の8年 -

1997年1月2日、ロシア船籍のタンカー、ナホトカ号が日本海、隠岐諸島の北東約140 kmで波の直撃を受け、老朽化した船体が折れ沈没。漂流する船首が南下、福井県三国町の海岸に座礁。タンカーより流出した6千キロリットル以上の重油は、鳥取、兵庫、京都、福井、石川、富山、各府県の海岸を覆い、佐渡島にも漂着。冷却水として海水を利用する若狭湾と能登の原子力発電所数カ所も危険にさらされた。

私は同年2月11~12日、各メディアの報道やボランティア、自衛隊で沸きかえる三国町の海岸から海辺伝いに北上し、能登半島のほぼ突端、徳穂海岸を見下ろす崖の上に出た。50m位の足場の悪い崖を降りていくとコールタールのような漂着した重油が10~30 cmの厚さで海岸一面を強い臭気と共に覆っていた。そこはボランティア等の人の手が全く入っていない状態だった。足を踏み入れるとヌルッと深く足を取られ、悪戦苦闘して撮影する内に、やっかいなタールが全身や機材に付着していた。

4月27~28日、再び同じ場所へ行った。気温の上昇と春の強い日差しで目に強い刺激と以前より更に強い臭気を感じた。タール状の重油もドロッと溶け出し、その厚い層を突抜け草が生え始めていた。

9月2~3日、11~12日、岩場の潮溜まり、波打ち際は溶け出したオイルで虹色に光り、蟹の死骸をいたるところで見た。ゴキブリのようなフナムシだけがウジャウジャ元気に動きまわっていた。

10月21~22日、重油が波に洗われ海に溶けていった為に波打ち際はきれいになっていて、波の届かない場所では固く黒ずみ岩や石にこびり付いて残っていた。

1998年2月19~20日、まだまだ重油は残っていた。ゴミが目立つようになった。

2000年2月15~17日、冬の日本海特有の海側から真横に降りつける吹雪で時折、景色が真っ白になった。海岸も吹き付けてくる波の華(強風の為、波飛沫が泡状になったもの)で真っ白になっていた。

2000年8月9~10日、こびり付いた重油はよく見ると部分的に残っていたがほとんど見当たらなくなった。ゴミがかなり多く見受けられた。草が伸びていた。

2005年6月27~28日、体が三脚とカメラごと飛ばされるような強風と、時折の豪雨だった。海辺一面ゴミだらけだった。

自然とはしたたかなものである。厚いタール状の重油を突き抜けて何事もなかったの様に生えてくる草花、太古から生き続けている元気なフナムシ達、いつの間にか波に洗われ消えてしまった重油。

ゆっくりと時間をかけて浄化していく自然の治癒力、しかしこのスピードにひ弱な人類はついていけるのだろうか?

広川泰士