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時のかたち

広い公園が見渡せる仕事場に移って二十年以上が過ぎた。

こんもり、ざわざわ輝いていた木々が葉を落とし、レース編みのような繊細な枝々の模様を見せ始め、寒風に晒されながら、暫くじっとしている。そのうち、春の霞のむこうでほんのり色づき始めたかと思うと、見る間に若葉色になり、やがてたわわに葉を繁らせ、きらきらとしなやかに枝を揺らす。そんな繰り返しを観察するというよりは、唯なんとなく、日常的に目に入るという程度に眺めては、移り行く季節を感じていた。

ある時、以前よりも木々が繁茂して眺望が変わってきている事に気付いた。見馴れている眺めなので、変化になかなか気付かなかったのかもしれない。確かに目線位の高さだった樹木と空の境界が上がっていて、空の見える割合が変わっていた。自然のサイクルの中で着実に生長してゆく力と、時の過ぎゆく早さにちょっとした焦りと寂しさを感じたが、それ以上に嬉しい気分にもなった。

どうしてこういう形になるのだろうと、つくづく見入ってしまう。まるで意思や感情を持っているような枯葉の造形は、一つ一つ実に個性的で二つと同じものがない。まだ青々と樹木の一部として機能している時は、ほとんどみな同じような色や形で特別個性などは見当たらない。ただひたすら樹の栄養器官の一つとして、行儀良くお勤めを果たしているように見える。ところが、ひとたび枝から離れると全く別物になる。まるで樹という大きな社会の、厳しい決まりごとで縛られた集団生活から解放され、思う存分自我を主張しながら、我が儘放題に姿を変えて、好きな場所へ飛んで行ったり動き回っているように見える。

枝から離れた瞬間、死なのかと言えば、枯葉を見るかぎりそうでないように感じられる。次第に乾き、硬く、脆くなり、やがて微塵に、また湿気を帯び、腐爛し、蕩け、次代の養分になるべく次のステップへ移行する。この刹那の姿は、動物と植物の隙間を超えてユーモラス、グロテスク、妙に色っぽくと、刻々形を変化させながら強烈なキャラクターを発散している。

樹木は、地上にある幹や枝と同量の根を地下に伸ばしている。これらの相互作用で落葉と発芽を繰り返しながら生長している樹木の動きや形を、祖先から子々孫々、過去・現在・未来へと続く生命の形態と見立てるならば、現世を生きる「私たち個々の生」と、個々の「葉」が重なる。

自然の循環の輪は、遠い過去から未来まで、無数の〈 今 〉という瞬間で繋がっている。生命もまた、水のように姿を変えながら、その輪の中を、ずっと巡っていくのだと思う。

広川泰士