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写真家・写真機・風景評・三島靖

いろいろと考えてみた。

さまざまな写真をこの雑誌に掲載し、短い解説を書く――――最近では作るだけではなく引用することが他の芸術との接点にあるような写真では常識になっているから、DJのようにそのネタを探す――――そうした「言い当て」を仕事にしていると、つい写真を見ることそのものを忘れてしまうことがある。そんな中で、この写真について何を語るかによって、写真の見かたがこれまでよりはっきり決まってしまうような気がした。

まず、日本の原子力発電の現状を調べて解説する事を考えた。最初に撮影に協力してほしい旨の申し出があったとき、それは「全国の原発を撮りたい」という依頼だったのだから、できた写真を「さし絵」にデータを並べれば原発の是非については中立を保ち、しかも広川泰士という人の仕事についてもそれなりの「言い当て」になった解説になっただろう。

だが、多忙な日々を縫っての北海道から九州までの彼の旅が終わり、撮影地へ同行することもあったりした後に数多くのプリントを見ていると、その写真の「気になりかた」は原発という言葉とは別の方向へ向かっている様な気がした。それはごく個人的なことではあるが、自分にとって「なぜ写真なのか」という問題へと向かっているようにも思えた。

彼がこのシリーズを思い立ったのは、原子力発電所というものが日本の風景の中にどのように存在しているのか知りたかった。ごく単純にその風景を見たかった」からだという。原発問題に対してはもちろん彼なりの意見がある。しかし彼自身が「環境破壊だと思うか自然と調和して美しいと思うかは、見る人にまかせたい」といっている以上、その意見を聞いてからこの写真を見る事が必ずしもよいとは思われない。そのかわり、各地での撮影を通して彼が感じたことが、この写真を見る手がかりのひとつだろう。それは、多くの原発と風景のかかわり方に、冷却水の必要など構造上の要求による共通点だけではなく、もっと潜在的といってもいいような共通点があるということだ。その印象を彼は、「原発のある風景を見たいといっても、外から眺めて適当に撮れるものではなかった。原発は風景の中に強固に隠されている感じがした」と話している。

とはいえ、彼の写真がいかなる意図をもって配置されたのか、見る側はには知る由もない。また、それぞれの写真を特定する名称もつけなかった。だから撮影の中の彼の印象がどの様なものであろうと、これらの写真はいかようにも解釈されるし、いかようにも使われうる。原発というクリティカルな被写体が写っている以上、このことはとても微妙な問題だ。

だがそのような「言い当て」をめぐって起きるさまざま議論(写真のみならず原発そのものについても)は、この写真を撮った彼が、議論をする誰よりも多く直接これらの風景を目にしており、その映像を撮って来たのだという事実を曲げる事は出来ないだろう。撮影に使われた4×5カメラは、原発をとり巻く風景全体をアングルを変えずにカメラを水平にして撮れる機材の中で、最大の機動性を持ったものとして選ばれた。また現場での彼は、風景との間に自分が自然な視線を投げかけられるような距離をおいて撮っている。この方法によってこそ、原発が風景の中にどの様な位置を占めているかが記録出来たのだ。

あの木村伊兵衛は「カメラはメカニズムだ」と語った。社会的な問題意識を写真で表現しようとしたリアリズム写真が注目されていた当時、その斜に構えたような言葉が深くかえりみられることはなかったが、やはり写真は「ただ撮られたとき」に、最大の力を発揮するように思う。

このことを誤解してほしくない。本当の意味で「ただ撮られた」写真のためにはどれほど多くの努力と沈黙が必要だろう。その行為を愚直なほど持続する者こそようやく写真家とよべるのではないだろうか。被写体に怖じることなく淡々と進む撮影。これは広川泰士という写真家が数多くの仕事で身につけたごくシンプルな職人的手さばきのひとつにすぎないかもしれない。だがそのおかげで、日本の風景の中にどのような形で原子力というエネルギーが飼いならされようとしているのか、そのために自然と原発がどのような関係に演出されているのか、観覧者は撮影者と同じように感覚的にうかがい知ることが出来るだろう。さまざまな事を語り始めるのはその後でいい。写真を見るときにひつようなのは「ただ見る」ためにできるだけ言葉をとりのぞくことだという事を、この静かな「風景写真」の一群は教えてくれている。

 

アサヒカメラ・1992年7月号 三島靖